テアトル・デジャゼの歴史を語るのに、『犯罪大通り』を抜きにしては語れない。この劇場の名前の由来となった女優ヴィルジニー・デジャゼを抜きにして。19世紀の「パリジェンヌの生活」を抜きにして! 演劇は人生なのだから。
テアトル・デジャゼは、1770年にアルトワ伯爵(後のシャルル10世)によって建設されたジュ・ド・ポームの跡地であり、ルイ16世の弟が愛した古い「ジュのカレ」を保存している。タンプル大通りは、当時は「犯罪大通り」とも呼ばれ、上流社会の人々が夜な夜な集う場所であり、歓楽、笑い、娯楽、驚嘆の場であった。 昔よく歌われたように、永遠の見本市である。
毎晩、1万人近くの人々がこの大通りに集まり、20以上の劇場、バラック、架台が「スペクタクル」、「パントマイム」、「アクロバット」、「マリオネット」、さらには物理学のキャビネットや珍品、学識のある犬や猿、ジェスター、曲芸師、シャルラタンなどを上演する。「アクロバット"、"人形劇"、さらには物理学のキャビネットや珍品、学識のある犬や猿、ボニメンテール、バテラー、シャルラタン。犯罪大通り」という名前は、モルティエ将軍をはじめとする30人の兵士を死に至らしめたルイ・フィリップ王に対するフィエスキの未遂事件に由来するだけではない。
特に1823年、タンプル大通りを「犯罪大通り」と改名することが提案された。この大通りの劇場で上演されるメロドラマには、架空の犯罪が数多く描かれていたからである。アルマナック・デ・スペクタクル』誌に掲載されたユーモラスな国勢調査では、殺人、毒殺、誘惑などの架空の犯罪が151,702件もあった。これらの血なまぐさいドラマチックな上演によって、大通りは有名になり、人気スポットとなった。